TEL Sayaを生み出した当初は踊らせたいとか、動画作品を作りたいとか、ゴールみたいなものがありました。加えて、自分たちの技術向上も目的としていたので、体制としては自主制作が根本です。仕事だと予算や期間、諸々の事情に縛られがちですが、自主制作にはそういったものがありません。Sayaを通じて色々な方とお会いさせていただく内に、自分たちだけでは思いもしなかった方向性が見えてきて、Sayaの空白に様々な可能性を示してもらったなという感触があります。
TEL 対話できるようになるまでは大変でしたね。ノンバーバルコミュニケーションは喋れなかったからこそやっていた側面もあるんです。声を音声合成で作れるようになって、ようやく対話できるところまで漕ぎつけられた。この試みはアイシンさんをはじめ、大学の先生方、様々な企業の方たちと一緒にやらせていただいているんですが、まずはSayaが社会に認めてもらえるところがスタート地点だと考えています。Saya自身が「私はここにいてもいいんだ」って感じられるように居場所を作ってあげたいですね。
TEL ただ、AI自体の進化がこれからどうなっていくかは、正直予測のつかないところではあります。AIには技術的特異点、シンギュラリティという概念があるそうですが、これによってAIが人間の想像を超えていくような思考を持ったり、我々の生活自体も大きく変わることが想定されます。本当にシンギュラリティが起きるのか、起きた後にどうなるのか、良い結果になるか、悪い結果になるか、今はそれを確かめるために一つずつ積み重ねているフェーズなんじゃないでしょうか。自分たちの行動のその先に、YUKAが言ったような「自分のことをよく知っているもう一つの存在」が生まれてくることを願っています。
TEL これまでは中央集権的なモノ作りがメインストリームだったと思います。決まりきった事を実行する場合は効果的ですが、それ以外の要素を内包するための余白は生まれない。たとえばSayaを家庭に入れようとした時、人間それぞれの個性に対応しなければいけないので、中央集権的なやり方では失敗すると思います。何より、人間一人だけで考える力には限界があります。前述の通りSayaは「この子を主役にした動画を作りたい」とか「踊らせたい」とか、CGという範疇の中での活用方法しか想像できませんでした。それがいつしか、Sayaが社会に役立てるものになれるんじゃないかと思い描くようになった。自分たちとは異なる考え方を持つ人たちとの繋がりが生まれたからこそだと思うんです。
TEL 今はまさに分岐点で、今後は既存の社会システムや特定の誰かに依存するのではなく、自分がどうしたいのかという「個」の意思が物事の基点になっていくのだと思います。そうなると社会の在り方は変わってきて、考える為の時間も出来てくる。DAOは今は特定分野だけに使われている言葉ですが、誰もが並列に物事を考えそれらの繋がりで物事が進んで行く、そんな新しい社会システムを構築するための1つの要素になってくるのかもしれませんね。
TEL 自分の頭で考えることはYUKAが言うように大事です。「みんながこれをやっているから、俺は違うことをやる」みたいな人たちばかりになると孤立しか生まれません。一旦立ち止まって色んな側面から見て、全体を俯瞰した上で自分はどうするのか決めるのもいいんじゃないかな。「流行りものを作る」ことも悪くないと思うんです。やってみて、自分の立ち位置が分かるときだってある。
YUKA それもある意味「自分との対話」なのかもしれないですね。
TEL あとは、環境づくりですね。やってみたいことはあるけど、経済的な事情から出来ないというのは、よくある話じゃないですか。もし個人で難しければ色んな人を巻き込んでみたりして、自分が置かれている環境から何をどう活かせば実現可能になりそうか、考えてみて欲しいです。
TEL 自分は50%のグレーですね。黒にも白にもなれるし、灰色のままでもいられる。その曖昧さとか自在性が、自分のカラーかなと。振り返ってみると、人生の選択を自分からした記憶があんまりないんです。ここぞというタイミングで誰かに手を差し伸べてもらったことが多かった。その差し伸べられた手についていったら、大学行って、卒業して、就職して、YUKAと結婚して、Sayaを作っていた。自分を表するのは恥ずかしいですが、生まれながらの柔軟さを持っていると思います(笑)。