2022年6月2日 更新

スキルというものは、若いうちはその範囲の広さに気付いていないものである

モーツァルトとサリエリの関係性のように、天才的な才能を持つライバルに対して嫉妬心や葛藤を抱く構図は、古今を問わずひとつのモチーフとして多くの物語に登場します。

健全なライバルの存在は自らの成長を確実に促進していきますが、あまりにも能力面で太刀打ちできないと感じたときの焦燥感は、時としてその成長を阻害することもあることでしょう。

特に、エンジニアリングのように、理数的な思考を中心的に扱う場合、ある領域に特定した場合のスキル差は目に見えて圧倒的な差として表面化します。エンジニアの生産性が10倍とも100倍とも違うという話は、もちろん前提条件の違いはあれど、昔からよく言われている神話でもあります。

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日々の生活を支えてくれている様々な大規模システムは昼夜問わず働き続けています。私たちが眠りについている時間帯は、逆にいうとシステムを使うユーザーがいないタイミングとも言えます。疲れを知らない大規模システムにとって夜間は溜まりに溜まった残業をこなすチャンスタイム。バッチ処理という方式で、日中にはできない大量の処理を実行していきます。

その処理の手順を示したものがジョブネットフロー図です。複数の定型処理がどのように進行していくのかを表しています。ときとしてその処理は複数の支流に枝分かれし、各々違った旅をしながら、きまぐれに合流したりします。様々なデータが分岐と合流を繰り返し、くっついては離れ、一つの協奏曲のように処理を進めていくのです。

若い頃にアプリケーションエンジニアとして従事していた当時の私には、このジョブネットフロー図の全体像を掴むことが全くできませんでした。それほど複雑な処理が同時進行で進んでいくのです。

そんなある日、不幸なことにフロー上のある処理が異常終了してしまい、プロジェクト現場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。その場にいた若手メンバーではどこをどのようにリカバリーしていけばいいのか見当がつかず、時間ばかりを浪費していく。もし慌てて間違えたリカバリーをしてしまってはさらに問題は燃え広がってしまう。そんな大騒動の中で、この騒ぎを聞きつけて急遽駆けつけた頭脳明晰なリーダーは、あまり普段関わっていないフロー図を眺めて、ここが問題だというポイントを瞬く間に発見し、原因を突き詰めていきました。

「君たちは何をそんなに時間をかけているのだ、もっと迅速に問題を発見してくれたまえ。」

リーダーの諭すような一言が今でも記憶に残っています。もちろん経験がある程度有利に働く環境であるとはいえ、そのリーダーのように瞬時に難解なジョブネットフロー図の全体構造を紐解くことは、到底自分にはできないと打ちのめされたのでした。

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あれから10数年たった今、この一件については、すこし違った捉え方をするようになりました。

カッツ・モデルというものがあります。これはビジネスパーソンの能力を「テクニカルスキル」「コンセプチュアルスキル」「ヒューマンスキル」という3つのカテゴリに分類したものです。米国の経営学者のロバート・カッツ氏が提唱したビジネススキルと人材の関係性に関して言及した理論で、職層の違いによって重視されるスキルの比重が変わっていく、というものです。

この図が教えてくれる示唆はいくつもありますが、本稿では、この図をひとつの地図と見立て、「スキルというものは、若いうちはその範囲の広さに気付いていないものである。」というメッセージを伝えられればと思います。

20代のように、キャリアをスタートしたばかりの時期は、身の回りについては見えていても、案外遠くまで見通せていないものです。それゆえ、見える範囲で他者と自身を比較してしまうことで、ひどく不安を感じてしまうことも多いのです。重要なのは、より高い場所に登り、遠くの景色を眺めることです。今目の前にそびえ立っている壁は、高いところから俯瞰すると小さな丘にすぎなかったり、あるいはそもそもあなたにとっては登るべき壁ではなかったりするのです。

この図を元に当時の私のシチュエーションを分析すると、リーダーは幹部層として重視されるコンセプチュアルスキル(課題発見力、論理的解決力、総合俯瞰力といったスキル)に、テクニカルスキル(システム知識)を合わせ持っていたということができます。それは当時の担当者層の私には持ち合わせていないものでした。

もし当時の自分がこの地図を手にしていたならば、まずは担当者層において重視されるテクニカルスキル領域をしっかりと足固めをし、問題を局所的に切り分け論点整理を行い、リーダーにいち早く状況をホウレンソウし全体俯瞰が必要な部分の判断を依頼したでしょう。コンセプチュアルスキルの成長については短期的にではなく中期的に取り組めばいいと割り切ることで、むやみに落ち込むことも無かったはずです。

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さて、この記事を読んでくれている方はテック業界に所属している人が多いでしょうから、より技術に特化したスキルも深掘りしてみましょう。

基本情報技術者試験などを運営しているIPA(情報処理推進機構)は、有識者が議論を重ねた上で策定したITスキル標準というスキルセットを公開しています。この中では11の職種(コンサルタント、プロジェクトマネジメント、ITスペシャリストなど)に分類し、さらにその各職種を細分化し全部で35の専門分野を設け、さらにさらにそれぞれの専門分野について7段階のレベルを規定しています。とても膨大かつ体系的にまとめられたスキル定義です。
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Via https://www.ipa.go.jp/files/000024842.pdf

情報処理推進機構 ITスキル標準V3 第2部キャリア編

出典】情報処理推進機構 ITスキル標準V3 第2部キャリア編
https://www.ipa.go.jp/files/000024842.pdf

カッツ理論が日本地図だとすると、この図は一部の都道府県にフォーカスして縮尺を大きくしたようなものだと捉えてみてください。テクニカルスキル県の、更にエンジニア市を拡大したようなものです。ひとくちにエンジニアと言っても、これだけの広範囲なスキルがあります。また、どの職層のときに、どのようなスキルが求められるのかが、大まかにわかるようになっています。自分自身のキャリアをどのような領域で築いていくべきかを考える際には、このような先人達が作り上げてくれた地図に頼ることで、みなさんが伸ばすべきスキルを短期的に、そして中長期的に、計画立てていけるはずです。

ただし、ビジネスパーソンとしての基本動作(ホウレンソウ、勤怠を守る、ビジネスマナー)については、カッツモデルやITスキル標準とは関係なく身につけておいた方がいいでしょう。いくらスキルが高くても、これらの基本動作が身についていない人は、年を重ねるごとに滑稽な存在と見なされる傾向にあります。せっかくの強みのスキルを魅力的に思ってもらう以前に、下手な失点はしておかないほうがいいのです。ぴかぴかにコーティングされた欧州製スポーツカーも、足下のタイヤがドロドロだったら興ざめしてしまいますからね。

さぁ、スキル地図を片手に、あなたが伸ばすべきスキルを見つけていきましょう。そして時々地図を更新することも忘れずに。日本の地形はそれほど大きくは変化しませんが、細部に目を向けると数年で新しい道路が出来たり、建物が入れ替わっていたりするものです。特にテクニカルスキル県エンジニア市は変化を好む新しいもの好きの住民が多いせいか、都心のターミナル駅のように、数年で景色が一変していることもよくあるようですよ。

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